こぼれ話
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その552 戸惑い 2025.11.13
2025/11/13
私の好きな落語家の一人に故桂米朝師匠がいる。
先頃、「始末の極意」という噺をテレビで聴いた。
この噺はお金に細かい、倹約というかケチというか、
そういう人物が節約の極意を語る話だ。
前半は小噺がいくつも盛られている。
その中にこんな噺があった。
ごくごく貧しい男が亡者となって地獄へ落されて来た。
「ここからは暗闇地獄じゃ。」
獄卒の鬼がガシャーンと鉄の扉を閉めると、もう真っ暗で何も見えない。
ふつうの亡者はあちこちぶつかったり転んだりで、
歩くことがままならない。
ところがこの貧しい亡者はぶつかりも転びもせずに
すっすっと歩いていく。
「あいつおかしいな。」
鬼がよーく見ると、その亡者の前だけボーッと明るい。
その男、爪に灯をともして歩いてた。
米朝師匠の録画ではドヨッとした笑い声が起こって受けていた。
ところが最近は「爪に灯をともす」なんていうことは言わない。
若い人にこれを話してもぽかんとしているか、
「わっ、熱そう、痛そう。」
という反応が返ってくるのだ。
小学校時代の先生に
「朝からお茶漬けサブサブなんて、いけません。」
と言われたことを覚えている。
子供はしっかり食べて、丈夫な体と心を作る、という意味だったと思う。
食の細い子だった私は母の作る朝食が
「しっかり」しているのがちょっと苦手であった。
よくお茶漬けにしてくれとせがんだものだ。
茶碗にお茶を入れるだけなのだが。
そのうちにのり茶漬けやサケ茶漬けといった商品が発売されて、よく食べた。
大人になって、飲みすぎた翌朝はサケ茶漬けぐらいしか入らん、
ということもよくあった。
最近はそうならないようにセーブしているつもり。
ある日、私の部屋の机の上にカップラーメンのようなものが置かれていた。
「なにこれ?」と私。
家内が、「食べてみたいって言ってたじゃない。」
確かにそう言った。
パッケージには「新しいお茶づけのカタチ」とある。
ご飯込みのお茶漬けである。
最近はご飯を炊かない家庭が多くなっているので開発したという
新聞記事を読んだことがある。
なるほど、これは学生さんや単身者にはよさそうだ。
ただ、私の小学校の先生風に
「朝からカップ麺のようなお茶漬けなんて、いけません。」
っていう気持ちが少しする。
カップ茶漬けはまだ机の上にある。