その476 まんじゅう 2018.2.12
2018/02/12
ある寒い晩、その酒場に入るとお客は誰もいなかった。
店員が「いらっしゃいませー」といつもよりハイトーンで出迎えてくれる。
おかみさんが「よかった、まんじゅうじゃなくて。」と言う。
当たり前だ。私はまんじゅうではない。
「何、そのまんじゅうって?」
「お客さんがゼロのこと。帳面にゼロの字を書くと、まんじゅうみたいでしょ。」
「なるほど。まんじゅうこわいっていう落語があるけど、まんじゅうが続くと恐いね。」
「悪い冗談はやめて。」
釣り収穫のないことをボウズという。
少し古い現代用語の基礎知識によると、この言い方は全く魚の気(け=毛)がないことから来たそうだが、
表現が不適切なため「オデコ」に変わったとのこと。
私がサブとして使っている、タブレットの調子が悪い。
電源を入れるとしばらくは画面がチラチラ、イライラ、ビクビクとしてちっとも落ち着かず、
用を成さない。特に寒い朝はダメなようだ。
電器店に行って「こんなんですけど」と言ったら、
「それはそろそろ限界かもしれませんね。」と言う。
あっさりしたものだ。
家へ帰って保証書を見ると、メーカー保証の1年間はとっくの昔に過ぎていて、
販売店の保証延長期間がそろそろ切れる頃だ。
うまい時期に不具合を起こすものだと感心してしまう。
物をぶつけたり、落としたりした結果、ダメになることを「お釈迦になる」「お釈迦にした」などという。
なぜに「お釈迦」?と思って広辞苑(最新で話題の第七版ではなく、第五版)で調べると、
次のように出ている。
地蔵や阿弥陀の像を鋳るのに誤って釈迦像を鋳てしまったことから、つくりそこなうこと。
つまり、良かった物がダメになることではない。
ダメになることは「おじゃんになる」とか、関西で言う「わやになる」方が適切なようだ。
「おじゃん」は火事の時にならす半鐘から、
「わや」は古語で無理、無茶を表す「わやく」に由来するらしい。
ずいぶんとネガティブな言葉を並べてしまった。さあ、明日から良いことがありますように。