その508 若い学問 2021.6.20
2021/06/20
地元の図書館で、山林のコーナーを見たとき、ある猟師の様々な体験をつづった本が目に留まった。
その中に四国の山に入って戻らなくなった一人の山人についての記述があった。
「あせごの万」と呼ばれた男で、時期は推定だが、江戸時代の末期から明治初期の頃、
阿波と土佐の間の辺境で育った実在らしい人物である。
「万」の伝説はここでは置くとして、「万」について調べていると、
明治から大正にかけて、学問の夜明けだったのだなあ、と思う。
伝説、民話と言えば民俗学であり、民俗学の父と言えば、漠然と柳田国男と考えていた。
岩波文庫の柳田国男著「遠野物語・山の人生」によれば、
「山に住む人」の起源は遠く神話時代にさかのぼり、土着であった「国つ神」に由来するという。
山人には、山で暮らして家族を成すものと、
小児期あるいは成人してから、自らあるいは「神隠し」のように
さらわれて山に入ったものがあるという。
山の伝説については、大正の頃によく書物が出たようである。
朝日新聞社は大正11年に「山の傳説と情話」を出版していて、「万」の話も収載されている。
この本は新聞を通じて伝説を募集し、何千編もの応募の中から選んでいる。
また、同類の書籍はこの頃複数出版されている。
多数の民話、伝説が一般人から寄せられる背景に、大正時代の登山の普及があったようだ。
都市部にいる人たちが、非日常を求めて山に入る。
現代も似たようなものだが、かつての登山者にはもっと現地の人との触れ合いが強く、
伝説・民話も掘り起こして回ったのだろうと想像する。
朝日新聞の本には、神話・伝説の研究者から
「寄せられた伝説にはいわゆるステレオタイプなものが多く、
きちんと実際に現地の人から聴きとってほしい」旨の
苦言ともいえる巻頭言が掲載されている。
柳田国男は1875年(明治8年)生まれ、昭和37年に没している。
粘菌の研究をした南方熊楠は1867年(慶応3年)生まれ。
民俗学の分野では柳田と親交があり、論争もあったようだ。
ついでに、土佐の生んだ植物学者、牧野富太郎は1882年(明治15年)生まれであった。
明治、大正の頃の日本は、まだどの分野の学問も若かったことが察せられる。