その523 店の軌跡 2022.1.29

2022/01/29

 私が四十年通った居酒屋が12月で閉店した。
最初は1970年代に女性三人で始めた店だったそうだ。
言い出しっぺのオーナー格の女性と、その女性と前職の広報職で縁のあった女性、
そして有名ホテルで調理をしていた女性の三人である。
もちろん三人がそろって店に出て、おいしい料理とお酒、盛り上がる話題でにぎわったそうだ。
 
 そのうちに、料理担当の女性を好きだった男性が店に通うようになり、押し切って彼女と結婚。
彼も料理人で、子供のできた彼女に変わってこの男性が料理人として店に入った。
 
 その後、大学生のアルバイト男性が入ってさらに、にぎやかになったそうだ。
私がこの店に行き始めたのは1980年代、大学生の頃。
浪人時代を私は予備校、友人は宅浪でめでたく乗り切った後、二人で行ったのが初めてだった。
高級な店というわけではなかったが、広報の女性が頑張っていて
大学生が行くにはちょっと値が張ったことを覚えている。
 
 夜だけではなく昼にも食事を出すようになり、
オフィス街で知る人ぞ知る定食の店としても有名になっていった。
吉田類氏が、はやっている居酒屋の空気として挙げているのに、
外からでも店が盛り上がって揺れているように感じられること、というのがあった。
まさにそんな感じの店だった。
私と妻が結婚して披露宴の二次会をこの店で大学時代の同級生たちとやったことを思いだす。
 
 月日は流れて女性二人が店を離れ、
アルバイトだった彼がマスターとなって、料理の男性と二人で切り盛りするようになった。
料理の男性は山と花に詳しく、マスターは文芸やアートに一家言ある人だった。
二人とも夜が更けると、「そろそろいただきます。」と言って
ビールや焼酎を自分たちも飲んで、いっそう客と話がはずんだ。
 
 山登りを始めたころの私が花や山の写真を見せると、
「それ、ここに掛けんかえ。」と言ってくれた。
うれしかったが、よく考えるとうまく嵌められたものだ。
カウンターの向こうの額にA4でプリントしたのを飾られると、見に行きたくなる。
払う勘定が多くなるというものだ。
マスターに「つまらん」と言われたこともあるし、
店のお客さんから「この写真がえい」と言われたこともあった。
ずいぶん勉強させてもらったと思う。
 
 料理の男性が膝を悪くして引退してから、マスターが一人で店の灯を守ってきた。
簡単な料理は出してくれ、祝い事にはシャンパンを持ち込んでみんなで開けたりした。
 
 店が開店して五十年、私が通って四十年。
店は一つの区切りを迎えたようだ。
マスターは元気だし、常連さんも多くいたのだが、
マスターの体を気遣うご家族の気持ちが大きかったと聞く。
ありがとう、ありがとう。
マスター、またどこかで会おう。