時間はゴムのように

2011/11/12

週末、東京に行くことがあった。
飛行機は土曜の午後一番。
正午過ぎまで仕事をして空港に向かえばよいと高をくくったのが間違いの元。
あわててタクシーを呼んだが運転手さんは「もう遅い」と最初からあきらめ顔。
おまけに雨降りで交通量は多い。
「急いで」と注文はつけたが、信号にことごとくつかまる。
出発予定時刻に空港に駆け込むが、最近の航空会社は厳しい。
まだそこに飛行機はおるやないか、と思うが
「最終の出発体制に入っておりまして」
と、やんわり且つ厳しく断られる。

 

がっくりと落胆しつつ航空会社を変更して次の便の空席待ちをすることとなった。
この非常時にマイレージのカードなど、
にこやかに声を掛けられても応じる気にはならん。
こんなに落ち込むには理由があって、私の好きな実力派ピアニスト、
マレイ・ペライアのチケットを何カ月も前から購入していたからである。
人の少ない空港で2時間半をつぶした後、搭乗できることが判明。
私は予定の便で、同じように人に空席を献上したわけだ。

 

夕方に近い便になったので、コンサートの前半はあきらめようとしたが、
それでも一分でも早く羽田に着きたい。
どうか着陸待ちで旋回などしませんように。
幸いトラブルなく一時間程度のフライトで羽田に到着。

 

羽田からモノレールを使って都心近くまで行くべきか、すぐにタクシーを使うべきか。
地図を見るとけっこうな距離で、モノレールが良さそうに思うが、
その後の乗り換えを考えるとタクシーにかけることにした。
運転手さんに時間を尋ねると30-40分位と心強い御返事。
開演には間に合わなくとも、かなりリカバリーできそう、と思ったら
高速の一車線が工事でノロノロ運転。機嫌の良かった運転手さんが黙った。
急がせると恐そうなので私も黙って両手をもむ。
土佐弁で言う「ぞうもむ」状態。
ゆっくり進む車の中で時間は限りなく伸びて感じられ、
腕時計は倍速で進むように見える。

 

早々に高速を降りて、こんな街中の信号だらけの道をなぜ進むと思ったが、
さすがに空港で客待ちをする運転手さん。公約通り40分でホールに到着。

 

すでに一曲目は最後の盛り上がりを終え、
観客のフレッシュな拍手が扉の外まで響いてくる。
扉が開かれ、ホールの女性が懐中電灯で下を照らしながら座席まで案内してくれる。
多分私と似たような事をして、開演に間に合わなかった人が何人もいる。
お互い、次はドジを踏まないようにしよう。

 

そこから後は、ヨーロッパの宮殿で聴かれるような(って本当の宮殿は知らんけど)
美しい音が噴水のようで、時間よ止まれ、と思った。
厳粛なベートーヴェンのソナタの第一楽章も、晩年のブラームスの渋い曲も、
ともすると退屈しがちなシューマンの「子供の情景」も時を忘れて楽しめた。
特にプログラムの最後、ショパンのスケルツォ第三番は、
パワフルな主題ときらびやかなパッセージ、
それがしっかりとした骨組みに収まって、これぞ実力派男性のピアノと思わせ、
その上にハメをはずすようなパッションも加わった名演だった。
アンコールはショパンのエチュードとシューベルトの即興曲。
定番の曲だが、指を丸くして、まろやかに弾かれるシューベルトは
極上のデザートのようだった。

 

翌日、失敗を繰り返すまいと、
たっぷり余裕を持って帰りの空港に向かった私は、
伸びたパンツのゴムのような時間を過ごしたが、
あのコンサートのことを考えると、
一曲目のバッハを聴けなかったとしても損はなかったと思うのだった。


コメント

ペライア氏のまねをして尺八を吹くような口で、
顔を左右に振ってエキサイトしてみましたが
ペライア氏のような音楽は私のピアノから出ませんでした。