楷書の演奏

2013/10/17

先週、東京の学会に出張して来ました。
せっかく東京まで行くのだからと、いつもは好みの演奏会を探して出かけるのですが、
今回に限ってなんだか演奏会の乏しい週末のようでした。
その代り、飛行機の中で、飛び切りの演奏を聴くことができました。
機内のヘッドホンで聴く放送で、vintage classicsというタイトルでした。
1950年代から60年代にラジオ東京で録音された多数の音源が、最近見つかったとのこと。

 

機内で聴けたのは、ハイフェッツの演奏するバッハのシャコンヌ、
バックハウスのピアノでベートーヴェンの皇帝、
ロストロポーヴィチのチェロでドボルザークのチェロ協奏曲。

 

バックハウスの演奏は1954年だそうで、オーケストラは東京交響楽団。
もちろんモノラル録音であり、オーケストラは張り切っているのだが、音はともすれば古色蒼然と聴こえる。
しかし、バックハウスのピアノは、折り目正しい演奏でありながら、暖かい息遣いがあってほっとする。

 

現代のピアニストが一気に駆け上がるパッセージでは、もちろん緊張感を保ちながら、
大事な節目でアクセントを入れて折り目正しいフレーズを作る。
それが何とも楽しい歌に聴こえる。

 

帰りの飛行機でも同じ放送があったので、もう一度聴き、
やはりまた聴きたいので、家に着いてから早速CDを注文。
本日届いたところです。何回聴いても、楷書の演奏は気持ちが良い。
解説によれば、バックハウス70歳にしての初来日。
若いころに比べれば、皇帝のテンポは幾分落としたそうだが、
円熟味を増してさらに素晴らしくなった頃の来日演奏のようである。

 

バックハウスはドイツ正統派のピアニストであり、
日常の練習は両手のスケールをいくつもの調にわたって弾くことから始めたそうだ。
しかもベートーヴェン、ブラームスといったドイツの作曲家の作品だけでなく、
ショパンのエチュードも得意にしていたというから、器量が大きい。

 

皇帝の第三楽章が終わると、とてつもない数の聴衆の拍手が録音されている。
無心に、我を忘れて手をたたいている。
戦後9年目のことで、ブラボーも歓声もないけれど、
只々両手のできる限りの速さで拍手をしている。

 

暖かい楷書の演奏、暖かい楷書の仕事。目指したいものである。


コメント

このCDにはほぼ同じころに来日したケンプが演奏する「皇帝」も
第2、第3楽章のみではあるが録音されている。
ケンプは少し、気合が入りすぎたのか、高揚感が強かったのか、
多少の「はみだし」的な部分が気にはなるが、
ドイツの両巨匠の貴重な日本公演の録音は、
間違いなく私の宝物の一つである。