高知・塩の道 歩後記
2007/04/10
このほど、完全ではないにしても、高知の塩の道を4回に分けて歩くことができました。
本来は太平洋に面する赤岡町から、物部村大栃までの道ですが、
舗装道よりは山道を歩きたいのが人情で、
パート1:赤岡の北、香我美町の安場坂から香北町の千萱、
パート2-1:千萱から香北町の久保川、
パート2-2:久保川から屋敷、
パート3:少しとばして八重谷の北から中谷川という風にルートをとりました。
高知・塩の道を知ったきっかけは、季刊「土佐の風」という雑誌で、
江戸時代に赤岡でとれた塩を山奥の大栃まで運んだ道を復元している、
という記事を読んだことでした。
中心になっている公文さんという方が、地元の方と協力して整備するかたわら、
弁当を用意して案内もしていらっしゃるらしい。
歩いてみたいとは思ったものの、私も土佐のいごっそうのはしくれですから、
すぐに案内を頼むことはせず、いろいろと調べて、
安場坂から山道に入ることを突き止めました。
足掛け3年、車でウロウロ偵察しただけで山歩きにならなかったこともありました。
単独行ですから、複数の車を始点と終点において、ということはできません。
目標のところまで到達すると、マラソンの折り返しのように同じ道を歩いて、
車を置いた出発点まで帰ります。
行程の多くが山の中ですから、人に会うことはほとんどありません。
しかし、かつて塩を売りながら歩いた道ですので集落に近いところもあり、
ときどき地元の方に出会います。
そして温かく声を掛けてもらったことが思い出されます。
「塩の道をやりよりますかね。」
「おひとりかね。とぎがおらんとさびしいね。」
「わたしらは、この木の橋を渡ったことがない。
橋はすべるきに、川の石をつとうた方がましじゃ。」
分かれ道で迷う私に、無言であっちじゃ、と手で教えてくれたおばさん。
そして、黒見のあたりで、休憩所と桜の苗木の世話に精を出していた公文さんに
偶然にもお会いできたことがうれしかったです。
私は「土佐の風」で公文さんのお顔は存じていましたけれど、
通りがかった私に「休んでいってくださいや。」と声を掛けてくださいました。
ポンカンをいただき、むいた皮をビニール袋にしまおうとすると、
「たき火へ、くべちょいて」(たき火へ投げ込んでください)と一言。
この時に教えていただいたルートは、
塩の道がどの家の裏を通って、どこで舗装道をはずれて、
とまことに精密なもので、その後どれだけ助かったかわかりません。
ここはどの辺でしょうか、というわたしのオマヌケな質問にも、地形図を熱心に見て、
「このあたりはなろいですき、地図のこの辺ですろう。」
と教えてくださいました。
「なろい」というのは、おそらく「なだらか」という意味でしょう。
なだらかな尾根道をゆったりと歩く、という風情にピッタリはまる言葉です。
土佐弁には、「ええせん」「にかあらん」などの古語が残っています。
「なろい」は古語かもしれないと
さっそく古語辞典を引きましたが、載っておりませんでした。
「奈路」のつく地名は各地にあって、地形と関係するのかも、と想像しています。
公文さんが丹精した桜の休憩所、
数年後には桜の名所として有名になっていることと思います。
ただし、歩いて行かなくては見られない名所として。
コメント
人間も練れて「なろい」性格になりたいものだと思います。