調べる人々、その2

2006/04/02

私の好きな作家、吉村昭氏は、
作品を書くにあたって入念な取材、調査を行うことで知られる方である。
吉村氏が、ある人物のことを調べはじめると、
国内のその分野の資料はほとんど彼の元に集められ、
古書市場から姿を消す、という話を読んだことがある。
吉村氏のエッセイに「私の流儀」という本がある。
この中に、将棋の大山康晴さんにまつわる話を聞き書きで載せていらっしゃる。
大山さんは、講演会の演壇に立って聴衆の人数を瞬間的に知る。
会場の椅子席が将棋盤と同じようだから、すぐにわかる、とのことだ。
吉村氏は、そこに至るまでの大山さんの
将棋に対する研鑽の深さを感じた、
と書いていらっしゃる。

 

羽生善治氏の本「決断力」の中に、大山康晴名人についての記述が何ケ所かある。
何度か対局したことがあるが、盤の前に座っているだけで威圧感がある。
大山名人は盤面を見ていない。
相手が必ずミスをするという前提で指していて、
心理作戦とも言える特異な技を持っていたのではないかと。

 

将棋の世界とは遠い作家の吉村氏と、
世代が違うとはいえ同じ世界に生きる羽生氏とでは、
大山名人の偉大な面をみても見方が少し異なるようだ。

 

私は将棋や囲碁は全くわからない。
ところで、来週は大学で、非常勤講師の仕事がある。
ヘリコバクター・ピロリについての講義である。
昔の教壇と言うのは、生徒より一段高いところにあったはずだが、
最近は階段教室なので、学生から見て、教壇が一番低いところにある。
私は、教壇から教室を見回しても、
大山名人のように学生の数はとても瞬間的にはわからない。
しかし、2,3人ずつ固まっている学生は、熱心な医師の卵に違いなく、
また増殖しようとするヘリコバクターのようにも見える。
この熱心な学生の為に、さあ、今年も新しく講義メモを準備しよう。


コメント

今年の学生さんはとても熱心でした。
講義の後で数人から質問がありました。
丁寧に話したつもりでしたが、盛りだくさんな内容となったので、一部混乱があったようです。
正確に伝えるのはむずかしいものですね。